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出産日記~妊娠発覚から妊娠中期~ [エッセイ]

前回の話のようにいろいろと計算した結果、妊娠が判明したのが9月初旬。
体調が特におかしいというわけではなかったものの、毎月正確な生理が2週間なかったので、これは妊娠したかな……と思って検査薬を買いに行き、調べてみたら陽性。
最近の検査薬はかなり正確で、陽性が出たらほぼ間違いないらしいのですが、念のためもう1回調べてみようということで調べてみても、やはり陽性。
これは間違いないなってことで翌日病院に行ってみたら、妊娠6週ということでした。
このとき言われた出産予定日は4月中旬くらいで、3週間後くらいになればより正確に予定日がわかるということで後日調べてもらったら、少し遅れて予定日は4月下旬ということでした。
計算通り早生まれではなく4月生まれになる!、ということで、正に計画通り。
ただ、早産になってしまうと早生まれの可能性もあるわけで、その辺りは極力避けられるようにしていかなかいとな、と思いました。
当たり前のことですが、タバコの煙などは吸い込むと早産の可能性が上がるということで、とにかく喫煙所のある場所に近付かないとか、その辺りをいろいろと努力しようと。
ちなみに、本気で早生まれにしたくない人は、早産になってもある程度平気なようにあえて5月生まれになる計算で作る人もいる、とのこと。
私の場合は4月下旬が予定日だったので、2~3週間早くても大丈夫だったのは、運がよかったのかもしれません。

妊娠初期~つわり地獄~
妊娠が確定してから数日後から、徐々につわりが始まりました。
最終的に吐いたのは1度だけでしたが、寝ているとき以外、意識があれば常に気持ち悪いという状態は何かの罰ゲームか、と日々思っていました。
寝ても覚めても、お腹がすいても、お腹がいっぱいでも気持ち悪い、もうどうしろ、と。
唯一気持ち悪さが軽減されるのが、何かを食べている最中に少し空腹が満たされたと感じた時の約5分くらいだけ。それ以外の意識がある間は常に気持ち悪かったです。
生まれてこの方二日酔いになったことはなかったものの、常に胸がムカムカしつつゲップがしたい状態になり、どうもこれが二日酔いの状態に似ているらしい、と後々知りました。
つわりが終わった16週まで約2ヶ月半、きつかったです。
妊娠悪阻とまでいかなかっただけでもよかったのかもしれませんが。

つわりが始まると食べ物の好みが変わる、というのはよく耳にしていましたが、それはもれなく私にも起こりました。ただ、やはりそこは個性が出るみたいで、一般的に言われていることと、自分に当てはまることには差がありました。
一般的に言われていて当てはまったのは、甘いもの全般がダメになること。
普通の食事で塩気のあるものを食べた後より、甘いものを食べた後の方が数倍気持ち悪くなっていました。
ただ、味やのど越しは妊娠前と変わらず、食べ終わった10分後くらいに強い気持ち悪さがやってくる、という面倒なものでした。
甘いものだって食べたいのに、食べたら気持ち悪くなるから食べられない、という。
この法則がわかったときは、かなり残念な気持ちになりました。
また、唯一味もダメになったのが、日々飲んでいた午後の紅茶ストレート。
いつも飲んでいるものと似ているけど違う味に感じられて、飲めなくなりました。
冷蔵庫に買い置きが山ほどあったのに、それを消化できないというのが辛かったです。(放っておくと夫に飲まれてしまう)
つわりでダメになるもので当てはまらなかったのは、炊いたご飯の匂いと揚げ物。
炊いたご飯の匂いについては義姉から何度も言われていましたが、全くもって問題なかったです。
揚げ物も普通に食べられました。
その他、

・同じ食べ物を2食連続で食べられない
・甘いものは飲み物にも影響して、甘い味の付いている飲み物(0カロリーの炭酸やスポーツドリンク)も
ダメ
・でも、果汁100%のジュースは平気
・果物だったらある程度甘くても平気だったが、少し食べ過ぎると気持ち悪くなった

などがあり、本当に何という罰ゲームなのか、と感じる日々でした。
その後、つわりがなくなると食べ物の好みは元に戻りました。
つわりは現在もなぜそういう状態になるのかわからないと言われていますが、私自身体験した感じだと、

・胎児に必要ではない栄養を取らないように体が変化する

という説を信じたくなりました。
砂糖はカロリーがあっても栄養はないから妊娠中は取り過ぎない方がいいと言われていますし、同じものを2食続けて食べられないのは、別のものを食べなさいよ、と言われているように感じたもので。
果汁100%や果物が平気だったのは、ある程度ビタミンを取った方がいいからかなぁ、とか。
そんなことを感じていました。

妊娠中期~子宮筋腫の痛み~
妊娠する前から健康診断で子宮筋腫があるというのは知っていました。
健康診断のときは、そこまで大きいものでもないし、経過を見守りましょう、ということだったので、そこまで気にしてはいませんでした。
月経不順などもなく、筋腫が子宮の外側にあるタイプだったので妊娠の邪魔にはならないため、放っておいても平気でしょう、と言われていたということもあり。
ただ、妊娠がわかったときに担当の先生から、
「妊娠が進むと筋腫が子宮と共に大きくなって、他の臓器や骨を圧迫して腰痛になることもあります。逆に
子宮に血液を奪われて小さくなって、そのときに痛みが出るかもしれません。そのときは痛み止めで大丈夫
だと思います。」
と言われていました。
それをほぼ忘れかけていた18週目くらいで、後者の症状が出ました。
最初は脇腹が酷い筋肉痛になったような、引きつれたような痛みを感じて、それが翌日に悪化。
立っても座っても横になっても痛くて、座椅子の背を少し倒して仰向けになっていると若干楽になるかな、という感じでした。
そのときは夜も眠れなくて2時間毎に目を覚まして、壁にもたれかかりながら仮眠するような感じでした。
これ以上悪化したら病院に行こう……と思っていたら、その翌日はまだ痛いものの若干痛みは引いて、夜も4時間くらいは連続して眠れるようになりました。
その翌日も症状は軽くなって、2日後には検診があるから、そのとき先生に聞けばいいかな……と思って、そのまま日常を過ごしました。
そして、検診の日。
先生に聞いてみると、
「ああ、これは筋腫ですね~大体1回の妊娠で1つの筋腫につき1回痛くなって、1週間くらいで治りますよ~もう痛くないなら平気ですね~赤ちゃんに何かあるときはお腹の真ん中が痛くなりますから、脇腹が痛くなっても問題ないですよ~」
とかなり軽く言われてしまいました。
慣れたものなんだな……と感じました。
そして、先生の言葉通り、痛みはそのまま消えていき、特に痛み止めなどを飲むこともなく過ごすことができました。
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出産日記~妊娠・出産の決意~ [エッセイ]

これから全5回に分けて妊娠・出産について書いていきます。
書いてあることは全て私自身の独断と偏見によるもので、一般論とかけ離れていることもあるかと思いますし、一部不快に思われる方もいるだろう表現もあるかと思います。
具体的に言うと、私は出来る限り自然に出産できたらいいと思うけど、少しでも危ないことがあったら躊躇なく現代医療に頼ればいいと思っている医療派。自宅出産などをを考えられている自然派の方とは、相容れないところも多いかと思いますので。
その辺りを気にされる方は、スルーしてください。

妊娠・出産を決意するまで
結婚当初、子供を作るつもりはほぼありませんでした。
金銭的なことではなく、夫婦だけで老後まで一緒に暮らすのがいいなぁ、と漠然と考えていたということと、まず最初の1~2年は夫婦だけで暮らしたいと思っていたという2点で。
また、出来ちゃった結婚が上手くいかない理由の1つとして、夫婦だけで暮らす期間が短いから、と指摘されていたり、実際私の周りで出来ちゃった結婚をした人で客観的に見て幸せそうだと思える人が皆無だったこともあり、まず最初は夫婦だけでのんびり暮らしていこう、と。
端的に言えば問題を先送りにしたままに過ごしていたとも言えます。

その考えが変わってきたのが、結婚4年目くらいのとき。
理由はいくつかあって、それを箇条書きにするとこんな感じです。

・夫婦の年齢的な問題
夫は私より6歳上なので、子供の運動会で自分だけ年がいっていたり、子供が成人するときにヨボヨボだったりするのはかわいそうだから、そろそろ作ってもいいんじゃないの?、と夫。
私も高齢出産の域に達していないものの、産むなら早い方がいいだろう、とは思っていました。
夫婦で話し合って、それじゃあ子供を産んでみようか、と決めました。

・義両親からのプレッシャー
全く悪気がないだけにたちが悪いタイプのプレッシャーでした。
義姉は出来ちゃった結婚で女の子が1人だけ、それ以外に孫がいないので跡取りがいないってことが義両親、特に義父にとっては早くどうにかしたい問題のように見えました。
義父はせっかちな上に思い付きで物を言う癖があるので、本人は言っているつもりがなくても、失言をポロポロ言ってしまう人。うっかり失言があると夫がちゃんと怒ってくれるものの、こういう性格ってのはもう直らないものです。
さすがに私に対しては気を遣っているのか、妊娠・出産について直接言わなかったものの、夫に対して、「大人になって熱が出たことあるんだから、病院で検査してこい。」
とか言ったり。これ、義父本人は言ったことを記憶していないんです。
そう言おうと思ったこともある、くらいにしか記憶に留めていなくて。
実の息子でもそれは言ったらいけないんじゃ……ってことは、他にもいろいろ言われていたらしいです。
多分、私に対しても何か体に欠陥があるんじゃ……と疑っていたのでは、と思われる部分もあり。
それ以外にも、本人は言ってないつもりでも、近所の家の子供の話とかを繰り返し繰り返し話すようになって、見えないプレッシャーは日に日に大きくなっていっていました。
「○○に住んでる××さんは結婚7年目でやっと子供ができてね。だからまだできなくても心配しなくていいよ。」
とか。もう数十回は聞いた話。
出来ないんじゃなくて作ってないんだよ、というのは言えず。
そのうち、それだったらもう、私の中では産んでいろいろ証明してやるよ!というくらいの勢いになっていました。

・子供を産んだ人の話をいろいろ聞いて
「私も子供を育てられるなんて思わなかったけど、動物好きなら大丈夫だよ。」
とかつて2人の子持ちの方から言われたことがありました。
基本的に小さいうちは動物と似たようなものだから、と。
また、幼児教室で働いていた中で、子供って本当に親そっくりに育つというのが見えましたし、ある程度子供の扱いにも慣れたので、まぁ私と夫の子供なら大丈夫かな、と思えたというのもあり。
それらのことがいろいろと混ざって、じゃあ子供を産んでみようか、ということになりました。
ただ、子供を産むにあたって最初から決めていたことがありました。
それは、子供の誕生日を4月からせめて9月までの間にすること。
これは幼児教室で働いていたことと、今までの人生経験から、早生まれになるとその時点でそれがハンデになるというか、4月生まれだとそれだけでアドバンテージを取れるというか、とにかく4月生まれ(特に女の子)の成長の早さというのを目の当たりにしていたというのがありました。
小学校高学年くらいになると、生まれ月に関係なく頭のよさ・運動神経のよさが目立ってきたりするのですが、子供が小さいほどやはり生まれ月による成長の違いは大きいです。4月生まれと3月生まれで約1年違うということは、学ぶ時間も4月生まれが約1年多いということで、事実スポーツ選手は4月生まれの方が絶対数が多いと言います。
また、大学から社会人にかけて出会った女性の中で、大学は浪人して入ったという人の多くが早生まれだったというのも昔から引っ掛かっていたことで、とにかく早生まれにはさせたくない、と思っていました。
子供の生まれ月というのは、両親側である程度コントロールできるものなのですから、これはしっかり計算して狙うべきだろう、と最初から考えていました。
高齢出産の域に入るまでにはまだ時間があり、不妊治療をしていて少しでも早く妊娠したいということでもなかったので、まずは4月生まれを狙ってみよう、と思っていたわけです。

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