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就職活動日記~後期・合格編~ [エッセイ]

教育実習も終わって全て一からやり直しになった就職活動。
それまでは家に来たダイレクトメールに返事を出す形で会社説明会に予約をすることがほとんどでしたが、そのダイレクトメールも届かなくなりました。それなので、教育実習が終わってからは学校の就職課で求人票を探して会社説明会に予約するようになりましたし、インターネットで説明会を見つけて予約することも積極的に始めました。
また、この際推薦も利用しよう、と思ってまだ募集している推薦枠があるかどうかも調べました。
推薦というのは学科推薦のことで、理系学科には結構多く届きます。
推薦枠が2~3名くらいという指定があると、1回会社訪問すれば合格してしまうことが多いのですが、あくまで会社を受験するには推薦が必要だ、という推薦もあります。文系学科にはどうやら推薦枠2~3名ですぐに合格出来るという推薦は届かないらしいので、これは理系学科の特権と言っていいのかも知れません。

私はすでに合格出来たらどこでもいい、という考えにまで至っていたので、すぐに合格出来るような推薦を探しました。
しかし、私が推薦を受けようと思ったときには、すでにすぐ合格出来る推薦は全て締め切りを過ぎていて、受験するには推薦が必要だ、という会社が1つ残っているだけでした。(この時点で6月半ばくらい)
これは受けようかどうか迷いましたが、普通に受験するより推薦があった方がまだ受かる確率は高いだろう、と思ってその推薦を受けることにしました。
それですら既に締め切りが近かったので、推薦を申し込んだ2日後には推薦状を持って会社説明会に行くことになりました。
学科の主任教授に、明日までに推薦状を書いてください、と頼みに行ったときほど緊張したことはなかったですが、嫌な顔一つされず書いてもらえました。

推薦状があるせいか、説明会参加後、次の週には筆記試験と面接を受けることになりました。
筆記試験には英語も出てきて苦労しましたが、国語や数学、コンピュータ用語の問題はわりとできましたし、適性検査はほぼ完璧だったと思うので、それほど失敗することなく通り過ぎました。
同じ日の午後には面接もあって、その直前には面接用の質問用紙が配られ、それに30分でいろいろと記入する作業もしました。
また、それを書く前に採用担当者の人が、
「最近の学生はあまり喋らないので、推薦状には明るい学生だと書かれていても実際に採用出来ないことがあります。面接のときは喋りすぎるくらいに喋った方がいいです。それに、質問用紙にもいろいろ書いてもらわないと、こちらとしても何を聞けばいいのかわからなくなります。」
と言っていたので、とにかくいっぱい書いていっぱい喋ろう、と心に決めていました。

質問用紙で1番困ったのは、「今一番気になるニュースについて書きなさい。」という項目でした。
当時はコソボ情勢がニュースでよく取り上げられていたりしましたが、普段から私はニュースもじっくり見ていないので、世界情勢を書いても絶対に墓穴を掘ると思って、その場所には「PS2とDCのシェア争奪戦と今後のゲーム業界の動き」について書いてしまいました(実話)。つまるところ、それしかまともに知っているニュースがなかったのです。
漫画の業界については気になるようなニュースも特に何もないと思っていたので。

それで実際面接になってみて、ニュースの項目については1つだけ聞かれました。それは、
「ゲーム業界のことについていろいろ書いているけど、ゲーム業界は受験しなかったんですか?」
というもので、それに対して私は、
「ゲーム業界もいろいろ受けましたが、応募する母集団が多すぎて途中から無理だと思うようになりました。それで、私はゲームを作る方ではなくてする方だな、と。」
と答えました。わりと面接官の反応は良かったです。
面接では他にHPのこともいろいろと聞かれました。
学生時代に力を入れたことはHPだけですし、以前にJustNetで波乗り賞を取ったこともあるので、それを売りにしようという考えもあったりしました。それで、履歴書や質問用紙にもそのことを強調して書いていました。
面接官にはHPを作ろうと思った理由、HPで扱っている内容などなどを聞かれました。
HPの内容は漫画やゲームのことなので下らない、と思われるかとも思いましたが、所有漫画が約2000冊あってそれを全てレビューしているとか、ゲーム100本以上持っているとか言ってしまうと、半端な数ではないので逆に感心されたりしてしまいました。
こういう話をしているとき、私は歯止めがきかなくなるので、面接官に話を止められて別の話題にされたこともありました。
結局、15分予定の面接が25分に延びて、結果として1次試験はパスしました。

その後2次面接を受けましたが、正直これは落ちると思いました。
面接室に入ったら煙草の匂いが結構強くて、面接官は煙草は吸っていなかったですけど雰囲気がすごく恐くて、その場でかなり萎縮していました。それに加えて、最後の質問のところで何か聞かなければな、と思っていたので思わず、
「説明会のときなどでは女性も男性と同じように勤められると聞きました。また、男女雇用機会均等法も改正されましたが、そのことについて上の方はどのように思っているのですか?」
などと、とんでもないことを口にしてしまいました。
それに関して、面接官の人たちは普通に答えてくれたのですが、これで落ちたと思いました。

が!!

その3日後。結果はこちらから問い合わせる形になっていたので、半ば諦め状態で電話してみたら内定だと言われて非常に驚きました。きっと2次面接は意思確認くらいなのかな、とも思いましたが、内定は内定だったのでとにかくうれしかったです。
ということで、ようやくここで就職活動を終えることができました。
推薦を受けての内定だったので、内定辞退は絶対にできないということもあり、内定が出た時点で就職決定、という流れでした。

こうして無事就職活動は幕を降ろしたわけですが、結局私は内定を合計で3つもらいました。
1つ目は就職先となった会社。高校、大学と女ばかりの環境にいましたが、この会社は9割近くが男性なので、我ながら極端な環境の中にばかりいるなぁと思いました。
2つ目は家から通える会社。ここの面接でも散々漫画とゲームのことを話して面接官に感心され、結構気に入ってもらえた場所でした。1つ目の場所が受からなかったら、ここに行きたかったです。
3つ目は家からものすごく遠くてしかも小さめの会社。ここは説明会のときに社長といろいろ話が出来て、社長も数学で教育実習をしていたということで話が合ってしまい、ほぼその場で内定が決まったという会社でした。雰囲気はすごく良かったので、どこも決まらなかったらここに行っていたと思います。

職種は全てSEでした。

最後に、就職活動を振り返ってみると、やっぱり面接は慣れだな、と思いました。
最初の頃は自分の思ったことも言えなかったですが、最後の方は言えるようになっていました。
また、面接も何となく受けるのではなくて、会社に入ったらやりたいこと、というのを予め決めていって、面接でそのことを言うと効果的だということもわかりました。例えば、就職先の会社では「製薬の安全性検査」という卒業研究で扱っている統計解析のような事業があったので、これがやりたいと言っていましたし、他の会社では「ネットワークを使った管理システム」が作りたいと言っていました。
女性でSEになりたいと言う人は大抵WordやExcelを使っていて興味を持った、くらいにしか面接でも話さないので、これくらい言えると1歩リードした感じになりました。
今更思えば、就職活動はいい人生経験になったと思います。
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就職活動日記~番外・教育実習編~ [エッセイ]

就職が決まらなくても、教育実習はやって来ます。
教育実習が始まる前には就職を決めておきたかったのですが、うまくいきませんでした。
ゼミの中で約半数は就職が決まって教育実習に入っていたので、それがとにかくうらやましかったです。
教育実習は出身中学に行ったのですが、これが私1人しか実習生がいなくていろいろ苦労しました。
誰か同級生が来ると思っていましたし(私が中学生のときは毎年3~4人来ていた)、そうでなくても短大に行った2歳年下の人とか、浪人した人とか、誰かはいると思っていました。

それがいない。

これだと就職状況を他の大学の人に聞くこともできず、休み時間も誰も話す人がいなく、いつ帰ればいいのかの判断もつきにくく、大変でした。1人でよかったことといえば、最終日に自分の判断でクッキー焼いて学校に持っていっても平気だったことくらいでしょうか。

教育実習中は最初の1週間でいろいろな授業を見て回り、次の1週間で授業をしました。
担当は1年生の数学でしたが、2~3年生の授業にも机間指導として入ることもありました。
これは、見学よりも、実際に授業している方が楽しかったです。だんだん生徒に対する遠慮も無くなりましたし、もともと声が大きいので生徒の評判も結構よかったです。
この実習期間で、生徒には散々、
「話すのが早過ぎる。」
と言われました。この癖は小学生時代から言われていたのですが(当時から早口言葉が得意だった)、言われなくなってずいぶんたっていたので、久しぶりに癖を思い出しました。
わりと楽しかった授業ですが、これをやるまでにはいろいろと準備が必要でした。
学生時代は先生方が自分のペースで何気なく授業を進めているように思っていましたが、実際はというと、1時間1時間指導計画というものを作って、1時間でどれくらい進めるかの他、板書計画や生徒の反応を予測したりして、それを紙に書かなければならないのです。
最初は進める感覚がわからなくて、1時間予定の授業が20分で終わって急遽その場で問題を考えたりもしました。
また、私は文字式の導入をやったのですが、私が当たり前にやってきたことも生徒たちはまだ知らないわけですし、理屈をすぐ理解できる生徒もいれば、出来ない生徒もいて、それを教えるのにも苦労しました。
例えば、「a円のノート5冊を買って、b円払ったときのお釣りは?」という問題では「a×5-b」と答える生徒がクラスの半分くらいいたりしましたし、「a×4」はもう当たり前に私は「4a」と書きますが、「×」を省略して数字を前に出すっていうのを教えても、「a4」と書く生徒も多かったです。
自分は感覚的にできたことを人に教えるのって難しいな、と改めて思いました。

実習を行った学校の先生については、基本的に皆さん優しく接してくれましたし、教育実習は全ての教師が通ってきた道でもありますから、温かい目で見てもらえていました。でも、正直なところ、かなりきつい先生(女)もいました。
言葉遣いとかは表面だけ取ればいい人なのかも知れないのですけど、そこかしこで、
「私って嫌われてる?(もしくは教育実習生そのものを迷惑がっている?)」
と思うことが結構ありました。こういう悪い予感というのは得てして当たるものなので、多分嫌われていたでしょう。
この先生、私が実習している期間で、結婚するということを発表していたのですが、
「こんな人と結婚するなんて、相手の人は一体何を(以下自主規制)」
などと思っていたりもしました。
まあ、これで人間関係の厳しさがわかったことはプラスだったと思います。

そんな教育実習期間でも、就職活動はしていました。
もちろん、企業を回ることはできません。夜中に企業のHPをまわって説明会の日程を調べたり、休み時間に抜け出して電話で説明会の予約を入れたり(学校が終わってからだと時間が遅くて予約出来ないから)などなどを、隠れてしていました。
実習期間というのは、たとえ教師になるつもりはなくても、教師になることを前提にしなければならないからです。教育実習期間中だけは、将来教師になるつもりで行け、と口酸っぱく言われていました。
とある学校では採用試験の願書のコピーを提出しなければならなかったといいます。
実習中の就職活動は、とにかくきつく止められていました。
実例として、実習期間と最終面接の日が重なって、その日の実習を休ませてくれと実習校に頼んだら、実習を中止させられた、というものもありました。そうはならなくても、実習校の態度がガラッと悪くなるのは間違いないと言われていました。

教育実習はかなりきつい日々でしたが、いい人生経験にはなりました。
実習を終えると、人間として少し成長した感じがしました。あくまで自分だけの感覚でしたが。
教職課程というのは、選択しなければならない科目も多く、事前指導でかなりの時間を費やさなければならないので、それ相応の覚悟がないと出来るものではありません。途中で挫折した人も結構いました。
それでも、やっただけの価値は出てくるものなので、経験してみるのもいいと思います。
こうして教育実習が終わり、私は再び就職活動に戻って行くのでした。
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就職活動日記~中期・絶望編~ [エッセイ]

筆記試験は通るけど、面接で片っ端から落とされることが続いていた就職活動前半戦。
それでも何度か面接をやるうちに、ちらほら一次面接が通るようになってきました。
面接のコツというのはよくわかりませんでしたが、とにかく面接官と話が弾めば通りやすい、という雰囲気だけはつかめました。
また、私は集団面接が苦手だということも同時にわかりました。
集団面接だと、自分の言おうとしていたことを隣の人に先に言われてしまったりだとか、しかもそれが自己アピールでの出来事だったとかで、言いたいこともろくにいえずに面接が終わってしまうこともよくありました。
私は自分で意思が強くて他人の意見には左右されない、と思っていましたが、面接では他人の意見に左右されっぱなしでした。人の話を聞いて、
「あ、そのことも言わなくちゃ。」
と思って、本来言うべきことを忘れてしまうことが多々ありました。
よって、通る面接は全て個人面接。しかも、1対1の面接がほとんどでした。
1対1だと言いたいことも言えて、向こうも相談する相手がいないので、こちらのペースに持っていけることも多かったのです。
そうして二次面接に進んだのが4社。だいたい二次面接が最終面接ですが、その最終面接まで進んだのも4社でした。
これだけあればどこかの会社に引っかかるだろうと思っていましたし、そうすれば教育実習前に就職を決めて晴れ晴れとした気持ちで実習が出来る、とも思っていました。

が!!

やはり世の中それほど甘いものではありませんでした。
教育実習前に最終面接に進んだところは全滅。
しかも、ゼミの仲間たちはどんどん就職が決まっていくので、焦りも加わってダブルパンチ。

では、どんな人たちが早々に内定を獲得していたかというと、銀行のSEとして採用されていた人たちでした。
そもそも、私の学校の同じ学科の人たちはSEとして採用されていましたが、そのほとんどは銀行のSEでした。当時はいわゆる”腰掛け”と言われるものに近く、総合職ながらも5年勤めて寿退社、というのが定番として噂されていました。
そのため、銀行も女子大からかなりの数の女性SEを採用していました。某銀行では私の学校から採用する枠を毎年設けていて、同じ学科からかなりの数その銀行に就職していくほどでした。数学専攻57人のうち少なくとも9人はその銀行に就職が決まっていました。聞いたところによると、説明会に行きさえすれば採用するとか、しないとか。
(銀行系を実際受けなかったので、本当のところは結局わからなかったのですが)
就職が早く決まっていく人たちは大抵銀行のSEで、そうでない場合は推薦を使った人がほとんどでした。
銀行は不景気でもわりと就職が決まりやすい、という現状がありました。

しかし!!

私は銀行には行きたくありませんでした。もちろん、銀行系のシステム会社も。
結構いい給料が出るという話は聞くものの、数年後に辞めることが前提の会社には行きたくなかったのです。説明会ではそんなことはないように言われても、現実は現実で違うという話も聞きました。
少なくとも、銀行でない方が長く勤められる可能性もある、と考えていました。
長く勤めようと思えば公務員だけど、それを諦めたならせめて長く勤められるところがいい、と。
それなので、銀行系を全て避けていた私はあえなく全滅を食らってしまっていました。
就職が決まっていく人たちを見ながら、私も銀行にすればよかったかと迷ったり、成績順で就職決まらないものなのかと妙な部分で嘆いてみたりもしました。
次第にダイレクトメールも届かなくなって、絶望の淵に追いやられたりもしました。
でも、やっぱりちゃんと自分の行きたいところを見つけないと、と思い直すようにもしました。
結局は、教育実習中は就職活動は出来ませんから、教育実習が終わったら一から出直しだな、ということになりました。全滅した分、教育実習には力を入れないといけないな、ともまた考えていました。
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就職活動日記~初期・全滅編~ [エッセイ]

※2000年当時の就職活動の話です。

それは3年生の1月半ば。
コンピュータの授業が終わった後に友人たちが、
「来週○○銀行の説明会だね。」
などと話しているのを耳にしました。どうやらネットで会社説明会の日程が出ていたらしいのです。
就職活動なんて4年生になってから始まるものだろう、と思っていたらもう始まっていて驚きました。そういえば就職協定が廃止されて就職活動が早まったのでした。(昨年度までは4年生の6月1日からでないと企業側も採用活動をしてはいけないという規定があった。)
でもまさかこんなに早くか、という思いがありました。

私は最初公務員試験を受けるつもりだったので、普通の就職のことはほとんど考えていませんでした。
でも、公務員試験の日程は遅いので(当時6月から採用試験スタート、決まるのは9月とか10月)、公務員試験の結果を見てから就職活動を始めると完全に出遅れてしまいます。それなので、どこかの会社で内定もらってから公務員試験を受けよう、と決めました。

しかし、この就職活動を始めてみるとかなりきついものだとわかりました。
まずは、会社説明会の予約をして、それらの日程調節がものすごく大変だったのです。
私はダイレクトメールで会社説明会の予定を送ってきた企業にだけ資料請求をして、会社説明会の予約をしていました。少なくともダイレクトメールを送ってくるということは、私を採りたい気持ちがあるからだろう、ということで。自分で資料を取り寄せたのはゲーム業界だけでした。
それでも同じ日程での会社説明会が多かったり、資料だけでどんな会社なのかよくわからないまま会社の優先順位を決めたりするとか、大変でした。
ゲーム業界では企画希望だったので作品審査のための企画書書いたりとか、それにも時間を取られました。
この時点でへばっているのに、会社説明会会場までの道で迷い続け(迷わなかったことよりも、迷ったことの方が多い)、家が遠いのでかなりの時間を説明会で拘束されると夜遅く帰宅することになるなど、精神的にも肉体的にも疲れ果てていました。

ゲーム以外の業界では、全て職種はSE(システムエンジニア:システムの設計と開発を行う。会社によってやることは様々で、プログラマーを兼任している場合もある)希望にしていました。
私の所属する学科で就職する人は、90%以上SEとしての採用試験を受けていましたというのが大きかったです。
他にも、理系科目を勉強していると、ほとんどSEになるくらいしか道がないということもありますが、SEを募集する会社がかなり多いということもありました。
社員数が2000人くらいでもSEだけで200人以上採用予定のある会社なんていうのもありましたし、300人くらいの会社なのに70人くらいSEを募集する会社なんていうのもありました。
とにかく数が足りない(おそらくは離職率が高い)ということで、適性があれば若いうちに教育して育てよう、としている会社が多いようでした。

この適性というのは数字や図形の規則性とか、簡単な数学の問題を解いてプログラムが組める素質があるかどうかを見るテストで、この他に常識問題を併用する会社もあったりしました。
それで、私はこの適性と常識問題(英語なし)がものすごく得意でした。学校の模擬テストでは全国偏差値83が出たので、これは勉強しないでもいけるだろう、と一切勉強しなかったです。
中学生頃の問題がよく出たので、多分私の学力が一番高かっただろう中学時代の問題なら「腐っても鯛」でどうにかなりました。
適性だけの試験だったら落ちた会社はなく、筆記で落とされた会社も1/5程度でした。
このことが自信につながって、これはもう適性があるのだからSEでの就職でいいのではないか、現時点で公務員試験の勉強にまで手が回らないのであれば公務員試験を受けたところで落ちる可能性は高いのだから受けなくていいのではないか、と思うようになっていました。
結果、3月末には公務員試験を受けることを止めていました。
一応、公務員試験対策講座、みたいなのを大学が実施していて参加していたのですが、問題の難易度が結構高かった上に今まで触れたこともない法律についての勉強があったりして、いろいろ無理なんじゃないかと思い始めていたというのもありました。

また、私は公務員でないと男女同列で働けない、と思っていたのですが、SEだとそんなことはない、という会社がほとんど全部で、私もコンピュータが好きでSEになってもいいな、と思い始めたというのも大きかったです。
(SEは徹夜もあるし機材の持ち運びとかの力仕事もあったりして、女性だと体力的にきついし、周りがほぼ男性なので女性の体力のなさなどを理解してもらえないという部分もあった、というのは就職後に知ることになるわけですが。男女同列で働くってそういうこと、というのを当時は想像できていませんでした。)

当時はまだ珍しかったHPを持っていることも強みで、筆記試験でも落ちる会社が少ないので、早い段階でどこかの会社には引っかかるだろう、と考えていました。

が!!

世の中そんなに甘くはありませんでした。
筆記で合格しても面接でザクザク切られました。
集団面接だと他の人に影響されて自分の意見が言えなくなったり、個人面接でも自分の悪いところを言い過ぎてしまったり、素直に答えすぎてしまったり、で。
笑うしかないくらいどこも受かりませんでした。
ゲーム業界も3社作品審査が通って2社面接に行ったものもありましたが(1社はエントリーシートが通った後、5日くらいで新しい企画書を書かなければならなかったので、忙しくて企画書ができませんでした。きっとこういうのを書ける人が合格するのです。)、そこであっさり落とされました。

こんなので本当に就職できるの?、という危機感が徐々に高まっていっていました。
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英語が嫌い [エッセイ]

私は英語が大嫌いでした。
どうして日本人が英語勉強するんだ、と思っていたので、英語を勉強していて面白いと思ったこともなければ、楽しいと思ったこともありませんでした。
英語嫌いが表面化してきたのは中学2年生のとき。
このときの英語の先生の授業がものすごく下手で、声が小さくて聞き取れないし、何を言っているのかよくわからない、というのが1年続いた結果、基本はできても応用ができなくなっていました。
学校の定期試験ではそこそこの点数が取れても、北辰テストという業者テストで点数が取れなくなってしまったのです。
当時、私の第一志望の高校に入るために必要な偏差値は65でした。合格を80%確実にするには68は必要でした。
それなのに、2年の最後の北辰テストで英語の偏差値が49だったからさあ大変。
他の科目では65前後取れていたので、まさに英語が鬼門となってしまいました。
そこで親に相談して言われたのは、
「塾に行け。」
でも、見たいテレビが山ほどあった私は、
「私専用のテレビとビデオを買ってくれたら塾に行く。」
と言い張り(立場もわきまえず)、その結果本当にテレビとビデオを買ってもらって塾に行くこととなりました。
この塾は先生が厳しくて、授業中にしゃべっていたらメチャクチャ叱られてうちの学校の生徒が集団でやめていった、という噂の塾でした。私としては、塾は勉強をしに行くところであっておしゃべりに行くところではないのに、塾に何しに行っているんだ、と思っていたので、厳しい方がいいからとその塾に決めました。
入ってみたらこの塾はすごくよくて、英語だけではなくて他の科目の成績も上がってきました。
怖いと言われていた先生も確かに怖かったですが、その分面白かったです。
最終的に、英語の偏差値も最初53くらいだったのが65前後まで回復して、高校も無事に第一志望に合格しました。
ちなみに、受けた高校は全部合格しました。

しかし、高校に入ったら再び英語の成績急降下。
英語の先生の運がないのか、1年2年と教え方の下手な先生に当たってしまい、授業が全然わかりませんでした。
授業がわからなくなったので勉強もそれほど身が入らなくなり、まさに悪循環で成績も落ちていきました。
3年生のときは、2年生までで数学の成績がよく、英語以外ならそこそこできたので、1クラス特別編成される理系クラスに入ったので、英語は学校で1番目と2番目に良いという先生が担当になりました。

確かに良い先生だったのですが、英語もできて当然というスタイルで授業が進んでいくので、授業が高度でついていくのが大変でした。正確には、ついていけてなかったかもしれません。
そんな感じだったので、3年生のときはかなり英語の成績が悪くなっていて、笑うしかないような点数ばかりとっていました。
どのくらい成績が悪かったのかといえば、平均点が70点くらいのテストで29点取ったり、3年の2学期の模試で430人中英語が410番くらいだったり。偏差値でいうと42とか38だったり。
ちなみにこのとき数学で偏差値70前後取ったので担任の先生に、
「なんて成績取ってるんだ。」
と言われたりもしました。
塾には行っていたのですが、成績が戻ることはありませんでした。
ただ、2年の途中から行っていた予備校の受験直前講座でやった問題が本当に大学入試に出て、どうにか無事合格することができました。
それが通っていた大学なのですが、赤本で英語の配点を見たら、小問でも1問7点~8点と配点が高く、予備校の直前対策で救われた問題が3問ほどあって、20点以上カバーしていたことが後々わかりました。
見直しをする前は違う答えを書いていましたし、大学受験は1点で100番順位が違うとまで言われていますから、この英語が出来ていなければボーダーライン突破はならなかったと思います。
見直ししたときに「あっこれは!!」と思った瞬間は今でもよく覚えています。

そうして大学に入ったわけですが、必修の英語でかなり苦労しました。
特に会話のところでは先生がかなり怖くて試験も難しかったので、もしかしたら単位落とすかも、と思っていました。
結果として単位を落とさずに済んで良かったのですが。
数学も突き詰めると海外の論文を読まなければならなかったり、論文を出すなら英語で書かないといけなかったり、なんやかんやで英語が必要になると知って、このときようやく英語の必要性を実感しました。

その後、就職試験で英語が出てきたところで絶望したり、就職直後に受けさせられたTOEICの点数が350点くらいだったり、英語の出来なさ加減を痛感する場面は何度となくありました。
ただ、3度だけ行ったことのある海外旅行では、なんとなくの英語でもそれなりに伝わったりして、何とかなるものだな、とは思いました。

唯一英語で自慢できるのは、筆記体で全て英文を書いていること。
中学1年のときに、
「その志望高校に入るなら英語は筆記体で書かないと、入る人はみんな筆記体だから恥ずかしいよ。」
とある先生に言われたので、無理矢理矯正して筆記体で書けるようにしました。
そうしていざ高校に入ってみたら、筆記体で書く人などいなくて、昔すぎる知識で騙された、と感じました。
「すごいね、筆記体で書けるんだ。」
とよく言われたものです。
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